エレベータの歴史

(観光用)エレベータの歴史(過去)


東洋第一エレベータ
東洋第一エレベータ/玉津島神社 (和歌の浦)
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和歌、万葉集のふるさと、和歌の浦の 玉津島神社 にある奠供 (てんぐ) 山に観光用では日本初の電動仕掛けのエレベータがあった。漱石も利用した ( 小説 「 行人 」 ・・ “猫のひたい程のてっぺんに、掛け茶屋があり、サルが1匹飼ってあった” )。 鉄骨をタワー状に組む技術がなかったのか、相撲国技館前に立つ “やぐら” にそっくり。戦時中、鉄砲玉に供出されたまま、帰還果たせず。今では山頂にエレベータの僅かな 遺構 があるのみ。


そこからの展望 (新旧の不老橋が見える。橋たもとの旅館、不老館 も既に無い)

日和山エレベータ
火の見やぐらの形に進化した 日和山エレベータ/鳥羽 (S45年)
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同名の山は日本全国に多数あるが、ここが本家?の日和山。この種のエレベータには頂上部に 水平の橋 がある。頂上からはまれに 富士山 も見えるという。昭和49年の駅周辺の火災にのまれて焼失、スポンサーがつかず、再建ならず。
地図


箕面ケーブル 昭和40年から28年間動き続けた 箕面ケーブル は老朽化と輸送力限界 (2両をつるべ式に運転するのではなく、1両のみで (エレベータと同じ機構) ピストン運転のため輸送力は低く、シーズン中は乗車待の長蛇の列ができた) で廃止され、下のエレベータがこれに替わった。

《 箕面スパーガーデン・箕面観光ホテルへのアクセスであった同ケーブルは、全長100mで日本一短いが 無料 のためチビッコには好評だった。 》


天にそびえる箕面エレベータ

箕面エレベータ/大阪府
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シースルーのざん新なスタイルでエレベータの中からも大阪平野を一望できる。ケーブルでの1機のカゴに懲りたのか、同エレベータでは2機のカゴを持つため、“長蛇の列” に悩まされることはない。ケーブルでは無人運転はできなかったが、エレベータでは、入場改札、運転がすべて無人化された。しかし、16億 もかかりましたので利用客に100円負担して頂いております。
※ 下りは無料のため片道50円。エレベータ自体はそれ程、高くはないが、この辺りで既に標高が高いため、展望は素晴らしく、展望塔としての利用だけでも価値があります。H25.2 に利用したところ、無料になっていた。


須磨寺エレベータ
須磨寺エレベータ/兵庫県
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 山手の道路にある駐車場から利用するためのもので、従って 華厳の滝エレベータ と同様、 “下る” ためのエレベータで、このエレベータ塔内に階段も併設されているため、ずんぐりむっくりのお姿におわします。駐車場、エレベータ共に利用は無料なので、さい銭は奮発して貰います。
 従って、鉄道を利用して参拝される方には同エレベータは無用だが、高台にある駐車場は 須磨の海を望める展望台 にもなっているので、“上り” エレベータとして利用できる。
 尚、社務所の屋上も展望台になっており、ベンチもあるので弁当を開くこともできる。また、当寺には、源平にまわる場面や仕掛けが多くあり、その他にも色々とあるので、一日中、遊ぶことができる。


金光教本部エレベータ
金光教本部エレベータ/岡山県金光町
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 金光教本部 (山陽線 金光駅) には春と秋の大祭に全国から信者が団体列車で訪れる。駅売店で聞くと、大阪からの団体が多く、特に 阿倍野教会 (2編成運行) からの信者が多いとのこと。名物、“金光饅頭” はこの売店でお求めできます。この町は金光一色で、学校から病院、タクシーに至るまで “金光” の名を拝するが、金光商店街は、やはり田舎のため、例祭のない日は人通りも少ないようだ。
 その金光教本部 背後の小高い丘には、教祖のお墓や金光神社があり、そこへ登るための スマートなエレベータ が新設されていた。かってはこのあたりまで海が入り込んでおり、この丘は岬だった。その岬には航海の目印となった松があり、古歌にも歌われていた。その岬に立って金光町の大海原を眺めてみませんか。
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 現在、団体列車を仕立てているのは天理教とここだけで、本部はどれほど立派な構えをしているかと思いきや、意外過ぎるほど質素で、どこにでもあるような神社と同格である。入口に警備員が立っているわけでもない。それゆえ、特別な宗教団体というイメージはなく、信者でなくても一般の神社にお参りする感覚で立ち寄ることができます。休憩所には茶の接待もあります。


《 もはやタワーはクラシカルな建造物 ? 》

生駒山上には、各局のテレビ送信タワーが林立する。NHKの陣地には、総合テレビと教育テレビの2本のタワーが建ち、更に、デジタル放送用なのか、タワーをなさぬ送信塔 (左端) が新たに参入した。FM送信タワーは電波が飛び過ぎたため弟分の飯盛山へ転居し、小振りの一つのタワーに “FM大阪” と仲良く同居。地表を伝播する低い周波数の ラジオ送信アンテナ は山を登る必要はなく、田んぼの中から近畿一園に送信 (阪和道、美原J.Cあたりで見える2本の巨大マストがそれ)
左端が新送信塔

機能性に徹すれば徹するほどシンプルな美しさを獲得
新送信塔

また、展望塔として日本で一番高い 香川 ゴールドタワー や新東京タワーをみても、いずれも、タワー形状ではなく、棒状のものが主流のようであり、スタイルとしては 元祖 “東洋第一エレベータ” に回帰した。耐震構造的にはこの構造の方が勝るのであろうか。従って、裾野を拡げたスタイルのタワーはもはや古典建造物になりつつある。
レトロな長浜タワー

平成 18 年 10 月 1 日
 復元・複製 資料館